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2012年9月10日月曜日

「病院の世紀と理論」読んだ

 
途中まで読んで、しばらく手を付けられずにいた。
なぜだかよくわからない。

ちょうど似たようなことを考えていたのかもしれない。
全然レベルが違いますが。

大雑把な要約をメモ代わりに残しておく。

<病院の世紀>

所有原理型システム
プライマリ/セカンダリの不分離
プライマリの現場にも自前の病床

西洋医学を実現する施設としての病院

医学士が開業する流れ
下位学歴供給停止

公的病院の脆弱性

公的病院医師は都市に偏在し、むしろ開業医が町村やへき地を支えた

開業医の経営上の優位性

公的医療機関が医療を担わないと医療が崩壊するという説は事実と整合性がない

<病院の世紀の終焉>

合理的な治療の提供の重要性、それに対する期待

その重要性、期待の減少

長寿の達成
生活モデルに基づく医療提供

健康概念の変化

包括医療サービスの必要性

プライマリ現場での医師の役割の変化

急性期治療の重要性は変わらない
包括ケアをどう付け加えるか

医師の脱専門職化
権威を基盤としない信頼関係

病人が寝る場所としての病床、患者のための病床
隔離のための病床との対比
所有原理型システムに依拠した社会的入院

1920年の世界に日本人が戻っても、イギリス型でもなく、アメリカ型でもなく、日本で医療を受けるとき一番安心できるだろう、そして、それが正解だと。

めちゃくちゃわかりやすくて、唖然とする。

100年維持された仕組みは強固だ。
それを変えようというのは並大抵のことではないという気もする。
しかし、終焉が必然だとすれば、あとはもう変わる以外に道はない。
だから、きっとうまく変わっていくはずだ。

自分も何かの役割を果たせれば。
 

2012年9月9日日曜日

「夢売るふたり」続き

 
やっぱりどうしても昨日見た映画がどこか引っかかっていて、
頭の中でいろいろなことがぐるぐるまわしになる。

夫婦が長く生活を共にするのは、奇跡のようにも思えるし、当たり前のようにも思える。

みんなめちゃくちゃ頑張って生きるのだが、どんどん目的から遠ざかるようなことばかり。

カナダへ行く資金を簡単に差し出して、
ひざを痛めて競技が続けられなくなることをむしろ望んでいたりして、

主人公の夫婦も新しい店を始めるのが目的ということにはなっているが、それもまた横並びの一つの出来事にすぎないように思える。

で、何を思うかというと、自立して頑張るのはやめよう、ということなのだ。

自分でやりたいと思うことはできるだけやめよう。誰かに頼まれたことだけをやろう。
とりあえず、そうきりをつけることにする

「夢売るふたり」

 
「ディア・ドクター」で一撃を食らって以来、待ち望んだ、というか待ち望んでいないというか、西川美和監督の新作。
またやられた。

見終わった後のこの不快な気分はなんだ。

なれの果て、なんとなくそういうコトバが浮かぶ。
でもちょっと違う。そこで終わる感じでなく、また延々続いていく。

自分自身、結婚25年を過ぎたが、そういうなれの果て、というか、あるがままというか。
しかし自分に引き付けて考えるとまた大変なことになりそうで、あまり自分のこととしては考えないようにしなくては。

「ディアドクター」では、自分に重ねていろいろ考えて頭がパニックになった。またそういう直感があって、そういうことを躊躇する。

本当に何も知らないまま、何も意識しないまま生きている。
まあ考えるのはそこまでにしておかないと。

といいつつやはり考えてしまう。

不倫OL、ウエイトリフティング女子選手、風俗嬢、小さな子を連れた未亡人、などというのはあまりにべたな設定ばかりだが、それにも関わらず、なんだこの気味の悪さは。

ウエイトリフティング選手をだますとき、これはさすがに無理でしょう。あなたがかわいそう、と夫に言うのだが、逆に本当に好きになってしまうのではないかと恐怖する感じと、その両方が見事にあぶりだされている。妻の対応が、人間のありようそのままというかなんというか。

うまく書けない。またしても。