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2011年8月12日金曜日

生活に根差した関心

思えば、日々様々な可能性を無視して生きている。

たとえばこれから寝るのだが、寝てる間に死んでしまう可能性。
この可能性はゼロじゃない。しかし実際はほとんどゼロだと考えて、明日の生きて起きたあとのことの方が心配で、眠れなかったりする。明日の朝は来ないのかもしれないのに。

あるいは巨大な隕石が地球に激突して地球上の生物が全滅してしまう可能性。
それだってゼロじゃない。でもそんなことは無視して、明日の朝は遅刻しちゃいけないと、目覚まし時計をセットする。寝てる間に生物全体が滅びてしまうかもしれないのに。

そういう中で、癌で死んでしまう可能性を無視せずがん検診を受け、高血圧で脳卒中になる可能性を無視できず降圧薬を服用する。

そこでなんとなく思うこと。
無視できることがどんどん少なくなって、ちょっとでも可能性があれば無視できない、そういう方向がある。

その半面、酒を飲み、たばこを吸い、自動車をスピード違反で走らせ、無視できないような可能性を無視するということも相変わらずである。

可能性を無視するかどうかは、その可能性の大小ではなく、その人の関心の度合いによる。ただそれだけのことだ。

そこで考えること。関心というものはどういうものか。

生活に根差した関心、というものを多くの人が失いつつあるのではないだろうか。

「生活に根差した関心」、これからの大きなテーマだと思う。

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