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2011年5月8日日曜日

健康のために生きているのでもないし長生きのために生きているのでもない

 
あたらしく一歩を踏み出すにあたって自分として今一度確認しておきたいこと。自分のことでありみんなのこと。健康のために生きているのでもないし長生きのために生きているのでもない。それは共通基盤のはずだ。病気や事故やそのたぐいのものがこの世からなくなったとしてそれがなんなのさ。生まれてきた全員が120歳まで健康に生きるというような世界が実現したとしてそれがなんなのさ。生きるということは病気になることであり事故にあうことであり死ぬことである。だからこそそれを避けたいと思うこと。そこから逃げようとすること。そして避けられないこと。逃げられないこと。息つぎのない連続。そういう中で点を打つことくらいはできるかもしれない。早逝の天才ナンシー関の最初の原稿には読点も改行もなかったらしい。読点や改行があればもう少し長生きできたかもしれない。しかし読点や改行のために生きているのではない。誰も読点や改行なしには生きられないからそうしているだけのことだ。この原稿だって一見読みにくいからいつもより読まれないだろう。だから自分はそんな生き方ができるわけでなく休憩しつつずるしつつ生きるしかない。読点も改行も必要だ。

健康は恥ずかしいことだし、長生きも恥ずかしいことだ。そういう面がある。それを忘れないように、ぼちぼち、やすみやすみ、次の一歩を踏み出したい。
 

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