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2011年4月6日水曜日

いい子、悪い子そのままに

 
私には3人の子供がいるのだけれど、みんないい子だ。と書いて、そんなわけないなと突っ込みを入れる。ただ、どの子がいい子で、どの子が悪い子だなんてことは決してない。子ども一人ひとりの中にいいも悪いもすべてがある。

いい子とか、悪い子というのだけど、本当は子供がいるだけ。いいこと悪い子の区別は、子供の側にあるのではなくて、それをみている大人の側にある。別の言い方をすれば、本当はただの子供がいるだけで、いい大人、悪い大人がいるだけかもしれない。

必要悪という言葉があるけれど、本当のところどういう意味なのか。

悪が必要だから存在するというのはどうも腑に落ちない。むしろ悪がなければ善もないということではないか。善だけの世の中ができたと思った瞬間、悪が現れる、世の中とはそういうものではないか。

何か悪いものを見つけた時に、こんなものなければいい、と考えるのが普通だろうが、それをなくしたところで、本当にうまくいくのだろうか。

自分自身がすべて善でできているなんてのを想像すると、何か恐ろしい気がする。
そういう状況で学ぶというのはいったいどういうことか、考えるというのはどういうことか。
そこには、学ぶも考えるもない。

善から、悪から、何から何までこの世の中にはそろっている。世の中だけではなく、自分の子供にも、もちろん自分自身にも、すべてのものがそろっている。だからこそ、考えることができるし、学ぶことができる。

善は、悪に対して善であるが、善に対しては悪である。悪は、善に対して悪であるが、悪に対して善である。

原理主義がだめなのは、子供を見れば一目瞭然であった。
 

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