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2011年1月3日月曜日

豊かな時代の終わり

 
今年も初詣には行かなかった。お願いをしている場合ではないというのは、すでに明確に認識しているつもりだ。神や仏にお願いすることだけはもうやめよう。初詣に行ったりなんかすると、間違ってお願いしたいするといけないので、初詣は行かないことに決めた。

お願いはやめて、何をするか。何もしないというのがいいのかもしれないが、今年はちょっと決意を語ってみよう。
決意を語るなら、自宅のソファーに転がったままでも十分だ。決意を伝えたいのは、神様や仏様に対してではない。伝えたいのは生身の人間に対してだ。
しかし、それが昔は大変だった。それが、今はインターネットという媒体で、寝転がったまま決意を伝えることができる。

そこで、今年の決意。

豊かな時代が続くことを祈っても、そんなことはただの祈りにすぎない。
はっきり言っておこう。豊かな時代は終わりつつある。もう終わっているのかもしれない。

世の中を破壊するのは戦争だけではない。戦争もないのに、世の中が破壊されつつある。それも確かなことだ。破壊と創造の繰り返し、戦争がなくたって、それは変わらない。

豊かな時代は続かない、ということはすでに明らかだが、あまり誰もそれを認めようとしない。
持続可能な社会を目指すとか言っているが、その話題が環境問題、特に温暖化の問題だったりする。温暖化など、100年200年後には、「何だ、また気温は下がってるじゃないか」という時期が来て、事実がそのウソを証明するだろう。まあそういう意味では、温暖化の問題も豊かな時代の持続を願う祈りの一つの形態だ。

豊かな生活を保とうとして、あるいは向上させようとして失ったものは何か。豊かさが終わるとは思わないが、豊かさの増加が、それによって失われるものの増加を下回る、というようなことが起きている。

一例を出すなら、たとえば医療。血圧の薬を得て、得たものより、失ったものの方が多いのではないか、コレステロールの薬を得て、と言えばもっとわかりやすい話だ。

豊かなだけではない、貧しさを込みにした医療、そういう方向性。

豊かさを捨てる。それが今年の決意。自分の仕事を、自分自身の生活維持、向上の中で考えるようなことはもうやめよう。



そんなことができるかどうかわからないけど、そういう決意をして、この1年にのぞみたい。 

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