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2009年12月17日木曜日

すべてのことは起こる

台風が近づき、豪雨があり、大きな地震があり、だからといって自分に何か変わりがあるかといえば、特に何もない。これは不思議なことだ。よくニュースなどで、聞くセリフは、多くは逆である。まさか自分の身に何か起こるとは思わなかったと。しかし、どこかで起こるのだから、自分に起きてもおかしくはない。そういう考えの方が普通に思える。むしろ、世の中こんなに大変なのに自分の身には何も起きていないかのようなことこそ、不思議といわねばならない。いつかは自分も死ぬ、それが当然で、自分が死なないような気がする、というのは不思議なことだ。そう言えばさらにそれは確かなことに思えてくる。


地震などの災害に巻き込まれて死んでしまうというのは、不思議でもなんでもない、普通のことである。そう言う普通の考えが異常に思えるところに現代の問題がある。

地震に巻き込まれないようにしよう、というのは重要だ。だからといって巻き込まれないようになるかどうかは別問題、そういうことである。希望は希望としてある。しかし現実もまた現実としてある。希望がすべて現実として実現するかのような希望が、希望を越えて当然のこととして取り扱われたりする。これこそ、絶望の始まりだ。

起きてはならないことが起きた、あるいは助かるはずの命が救われない、そんな言葉を毎日のように聞く。希望としてはわかる。しかし現実はそうそううまいこと行かないのだ。

人のせいにしないで生きる、そんな生き方ができたらどんなに素敵か。

悪人正機、唐突だけど、人のせいにしないということにつながる考え方のような気がする。悪人とは、世の中の悪のいっさいを背負って生きる人だ。善人とは、世の中のおいしいところだけをもらって生きる人だ。最も優れた人とは、何事も人のせいにしない悪人だ。最も愚かなのは、何事も人のせいにする善人だ。

まじめな人がまじめに怒っている、恐ろしい。谷川俊太郎だったっけ。まじめなのは、ただ単に悪を背負ったことがないからではないか。逆に、悪とは自分である、そう思えれば、開ける道があるかもしれない。

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