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2009年6月27日土曜日

三内丸山縄文遺跡に行く

三内丸山縄文遺跡に行ってきた。棟方志功より、寺山修司よりインパクトがあったかもしれない。何千年も前に、実はもう似たような生活をしていたのだ。家を建てて、共同の公民館のようなものを建てて、そして直径1.8mにも及ぶ栗の柱を6本も使った巨大な建造物。ただ違うのは、なにが世の中の基盤かわかっているかいないか。当然わかっていないのは、現代に生きる我々の方だ。90%の子供が10歳までに死んでしまう。平均寿命は30歳。まばらに存在する大人の墓、うず高く積み重なる子供の墓。人は死ぬということ。縄文時代の人々が子供の死に際してどうだったか。死ぬ子供がふつうの子供、そういうことだったかもしれない。そうは言っても、子供を亡くした悲しみがなかったわけはない。子供の死を受け入れることと、なんとか死なないようにという努力と、その両面が存在したという点では、今と変わりはない。しかし、その軸足は圧倒的に受け入れるという方向におかざるえない。なんといっても10歳までに9割が亡くなるのだから。現代人は、なんとか死なないですむような努力を重ねてきた。医者なんかその最たるものだ。ただそれはとても立派な仕事であるし、実際大きな成功を収めてきた。しかし、そこには自ずと限界がある。どうやっても最終的に人は死ぬからだ。縄文時代に必要だったのは、生き延びるためにどうするかということだった。そうだとすると、死なないようにする、そういう方向ばかりに行きすぎた現代に必要なのは、死ぬことをどう受け入れるか、そっちの方なのではないか。そしてその方法は、たぶん縄文人がよく知っていたことだ。
すべてを外部委託して生きるようになった現代人。生き死にまでも外部委託。確かにこれじゃあ生きられない。

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